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2019年5月27日

ジュエリーデザイナー石川暢子

ジュエリーデザイナーというには、デザイナー梶光夫、石川暢子、福原佐智という人たちがいます。

まさに、そのようなジュエリーデザイナーが、ジュエリーに輝きをもたらしたと言ってもいいでしょう。

今回、その中でも、デザイナー石川暢子さんをクローズアップしました。

ジュエリーデザイナー石川暢子

まさに、ジュエリーを生かしてくれたのは、石川暢子さんの偉業と言ってもいいでしょう。

彼女は、 平安の時代から近代に至るまで着物など日本特有の衣装の絡みからジュエリーを日常茶飯事に身に着ける習慣がない日本に対して、ジュエリーの世界を開いたとも言っていいでしょう。

ここには、彼女のオリジナルの世界観が存在します。そして、彼女が亡くなったあとも、彼女の世界観は多くの人たちに引き継がれて、現代社会にも継承されています。

6月には、パリ郊外のイッシー・レ・ムリノー市において、同市とパートナーシティである千葉県市川市にノブコイシカワの本社があるという理由から、両市全面協力で、「石川暢子の世界」展が開催されました。

ここには、日本の伝統工芸があり、彼女の手によって、西洋のジュエリーといいマッチングをさせることに成功することが出来ました。

ジュエリーとの出会い

1963年、東京藝術大学の2年生だった石川暢子は、フルバイトとして装身具のデザインに関わることになります。それが、彼女のジュエリーデザイナーとしてのスタートラインです。

ここには、彼女のジュエリーデザイナーとして成り立つための基礎固めがしっかり存在します。

第2次世界大戦後は服装の変化に伴って少しずつ西洋の影響を受けていくことになります。

ジュエリーはどうなのかと言えば、まだまだ日本にそれ程馴染みのある存在としては受けとめることが出来ていなかったようです。

ジュエリーの輝きは、庶民のものではなく、金満家たちのためだけにあったのかもしれません。しかし、もちろんジュエリーというものは、そのような存在であるはずはありません。

彼女は、デザインを施すことで、高価な宝石でも気軽に身に着けることを提案しようとしていたのです。

そのころ、高価な石にはデザインを施す必要はないという考えが存在していましたが、そのような固定観念も、彼女はバッサリはね除けることになります。

それは、西洋文化から生まれたジュエリーを奥ゆかしいことを美徳としている日本人の感性にマッチさせることです。

彼女のジュエリーに対しての拘りは更に続いていきます。